第40回 「サルコペニア」
公開日:2025/07/24
今回お話する内容は、私が1997年に訪問診療を始め、摂食嚥下障害(口から食べられなくなる障害)や食支援を学ぶようになった頃にはなかった話です。15年ほど前から言われるようになり、最近ではだいぶ考えが広がってきていますが、医療者であっても誰でも知っているという話ではありません。決して難しい話ではないのですが、あなたも知っておくべき話だと思います。今回のテーマは「栄養とサルコペニア」です。
サルコペニアとは
「サルコペニア」。私が初めてこの言葉を聞いたとき、新種の動物の名前かと思ったことを覚えています。しかし、その意味を知ると、人間なら誰しも避けられない現象だと気づきました。
簡単に説明すると、サルコペニアとは、加齢や病気によって筋肉量や筋力が低下し、身体機能が衰える状態のこと。もっと分かりやすく言えば、「筋肉の老化」です。高齢になると歩くのが遅くなり、立ち上がるのが難しくなっていきます。この変化は特別なことではなく、スポーツ選手で考えるとわかりやすいと思います。二十歳頃には圧倒的なスピードとパワーを誇っていた選手も、年齢を重ねるにつれ徐々に衰え、ベテランになると経験と技で戦い、やがて引退します。さらに何十年も経ち、レジェンド選手として紹介されるとかつて鍛え抜かれた身体でも筋力が低下し、歩行すら難しくなる姿を見ます。サルコペニアという言葉の響きは少しトリッキーですが、その現象自体は誰もが知っていることなのです。
1年で約1%
さて、人間の筋肉量は20歳頃をピークに徐々に減少していくことをご存じでしょうか?その減少は年齢とともに加速し、50歳代以降は10年で約10%の筋肉量が減るといわれています。つまり1年で約1%の筋肉が失われる計算です。私自身も50代終盤となり、かつてのように自由に動けた頃が懐かしく思えることがあります。
そして、もう一つ考えなければならない重要な問題があります。高齢になり、大腿骨骨折や誤嚥性肺炎で入院すると、筋力低下がさらに加速するのです。入院中は安静が求められますが、その結果、1日で0.5%もの筋肉量が減少するといわれています。本来、1年で1%ずつ減るはずの筋肉量が、入院するとたった1週間で3年分も失われてしまう計算になります。誤嚥性肺炎の場合は「禁飲食」の指示が出されることが多く、栄養不足に陥り、さらに筋力低下が進む悪循環が生まれます。
実際、入院前には問題なかった人のうち、禁食処置を受けた人の約33%、誤嚥性肺炎後の41%、大腿骨骨折入院後の13~34%が嚥下障害を発症するという報告があります。つまり、入院がきっかけで「食べる」ことが困難になるリスクが高まるのです。
サルコペニアの嚥下障害
さて、サルコペニアによる筋力低下は、全身にさまざまな影響を及ぼします。歩行が難しくなるだけではなく、声を出すことが困難になったり、飲み込みの機能が衰えたりするのです。私は訪問歯科を通じて、このような状況に陥った方を数多く見てきました。
例えば、入院の前日までは家族と同じ食事を楽しんでいたのに、退院後には会話もできず、寝たきりになり、口から食べることさえできなくなってしまった方がいます。このような状態を「サルコペニアの嚥下障害」と呼びます。この概念が初めて提唱されたのは2012年と比較的最近で、まだ新しい考え方なのです。
サルコペニアの嚥下障害への対応策はいくつかありますが、特に重要なのは次の3つです。
- 適切な栄養を摂取する
- 筋肉の維持に欠かせないタンパク質をしっかり摂る。
- 栄養バランスの取れた食事を心がける。
- 必要に応じて栄養補助食品(栄養ドリンクなど)を活用する。
- 飲み込みの機能を鍛える
- 嚥下訓練を行い、飲み込む力を維持・改善する。
- 口や舌を動かすエクササイズを取り入れる。
- 筋力を維持するための運動
- 全身の筋力を維持するため、適度な運動を行う。
- 寝たきりの方でもできるストレッチやリハビリを活用する。
特に問題になるのは栄養不足です。嚥下障害があると食事の量が減り、さらに柔らかいものが中心になるため、普通食に比べて栄養価が低くなりやすいのです。そのため、食事の工夫や栄養補助食品の併用が重要になります。また、栄養がしっかり摂取できてはじめて、効果的な機能訓練が可能になります。ただやみくもに訓練を行えばよいわけではなく、適切な栄養補給と組み合わせて進めることが重要なのです。
今回は栄養と筋肉というお話でした。次回は食べる姿勢についてお話しようと思います。
五島朋幸(歯科医師/食支援研究家)
1965年広島県生まれ。
ふれあい歯科ごとう代表、新宿食支援研究会代表、日本歯科大学附属病院口腔リハビリテーション科臨床准教授。株式会社WinWin代表取締役。
1997年より訪問歯科診療に取り組み、2003年以ふれあい歯科ごとうを開設。
「最期まで口で噛んで食べる」を目指し、クリニックを拠点に講演会や執筆、ラジオのパーソナリティも務める。
Contents
- Introduction
- 第1回「ボーっと食べてんじゃねーよ!」
- 第2回「噛めば噛むほど」
- 第3回「噛むことと認知症予防」
- 第4回「美味しさの正体」
- 第5回「飲み込みと姿勢」
- 第6回「飲み込みの動き」
- 第7回「飲み込みが悪くなったときにできること」
- 第8回「口から食べるための訓練」
- 第9回「食事の工夫」
- 第10回「舌の役割」
- 第11回「入れ歯の話①」
- 第12回「唾液の話」
- 第13回「口腔ケアのその前に」
- 第14回「口腔ケアの意義と効果」
- 第15回「誤嚥性肺炎予防」
- 第16回「口腔ケアの効果②」
- 第17回「口腔ケアグッズ」
- 第18回「口腔ケアの実際」
- 第19回「口腔ケアが困難な事例」
- 第20回「入れ歯の口腔ケア」
- 第21回「認知症と口腔ケア」
- 第22回「認知症と口腔ケア(実践編)」
- 第23回「認知症と入れ歯」
- 第24回「食べることと薬」
- 第25回「入れ歯の話②」
- 第26回「入れ歯と誤嚥性肺炎」
- 第27回「口腔内の変化」
- 第28回「残根の話」
- 第29回「口腔ケアグッズ②」
- 第30回「口腔ケアグッズ③」
- 第31回「ブラッシング法」
- 第32回「機能的口腔ケア(唾液腺マッサージ・嚥下体操など)」
- 第33回「食事介助」
- 第34回「SSK-O(食べる機能と食事の形態)判定表」
- 第35回「食事動作」
- 第36回「食支援とは」
- 第37回「食べることとリスクマネジメントの話」
- 第38回「食支援とそのプロフェッショナル」
- 第39回「多職種の食支援」
- 第40回「サルコペニア」